こんにちは。ORIGAMI JOURNAL 編集部です。
今回は、イタリアやアメリカなどコーヒー先進国の優れたコーヒー関連製品を輸入販売するFBCインターナショナル 代表取締役社長の上野登さんの登場です。
上野さんは会社経営のかたわら、国内のコーヒー文化浸透にも尽力され、世界のトップバリスタが頂点を目指して競い合う世界最大のラテアート大会「コーヒーフェスト ラテアート世界選手権 第4回東京大会 2017」では総合プロデューサーも務められました。
ORIGAMIも発売後まもなくから取り扱っていただいており、インタビュアーの加藤は何度もお会いしていますが、上野さんの過去を聞くのは今回がはじめてとのこと。
日本のコーヒー文化を紐解く濃厚なインタビューになりました。前後編の二本仕立てです。まずは前編をお楽しみください。
有限会社 FBCインターナショナル
代表取締役社長 上野登
神奈川県出身。幼少期からコーヒーを嗜む。1980年代、シアトル系のコーヒーに触発され起業を決意。1992年に米国 Java Trading 社の日本支社長に就任後、独立し株式会社 Java Trading Japanを設立。その後、個人事務所を立ち上げ、シアトルから Fidalgobay Coffee を輸入開始。2006年に有限会社FBCインターナショナルを設立、現在に至る。2005年から2009年まで、一般社団法人日本スペシャルティコーヒー協会 理事・事務局長としてスペシャルティコーヒーの普及・市場拡大に従事している。
FBCインターナショナル ウェブサイト
http://fbc-intl.co.jp/

早すぎた日本でのコーヒー進出。

加藤
いつもお世話になっています。上野さんには、本当に最初の頃からORIGAMIを応援していただきまして。
上野
こちらこそ、いい商品を扱わせてもらっています。お客さまからの評判もいいですよ。
加藤
ありがとうございます。上野さんとの出会いは、確かTRUNK COFFEEの鈴木さんの紹介だったと記憶しています。
上野
ORIGAMIとの出会いはよく覚えていますよ。ちょうど僕が日本スペシャルティコーヒー協会の事務局長のときでした。世界バリスタチャンピオンシップで最年少優勝したポール・バセットが銀座に上陸した年だったから、2006年だったかな。あるカフェショーで鈴木くんと話しているときに「ORIGAMIというカップに関わっているんです」とカップを見せてくれたのが最初ですね。
加藤
おそらく、まだ開発中か、出来立てほやほやのタイミングですね。
上野
ORIGAMIの底は丸くなっているでしょう? これは当時では珍しいアメリカ式でよく覚えていますよ。あの頃のカップは、ほとんどが底が平らなイタリア式でしたから。持ち手も指がちゃんと入るアメリカ式ですね。イタリアのカップって指でつまむように持つから、取っ手の穴が小さいんですよ。
加藤
さすがに見られる場所が違いますね。
上野
アメリカ式のカップを日本に最初に持ち込んだのは、おそらく僕ですからね。
加藤
そうなんですか!?
上野
はい。振り返ってみれば、いろいろと早く動きすぎた人生なのかもしれません(笑)。
私が以前代表をしていたJava Trading社が運営していたカフェ一号店のオープンが1993年です。スターバックスの日本進出が1996年ですから、それよりも早くシアトル系コーヒーを持ってきたということになります。


上野
この写真が、当時Java Trading社で運営していたジャワコーヒーの記事です。懐かしいですね。アラビカ種100%のエスプレッソを日本に持ち込んだのは、僕が初めてだったと思いますよ。1990年代後半、国内のコーヒーではまずあり得なかったですから。
加藤
興味深いお話しですね。その頃の日本のコーヒー市場はどのような状況だったのでしょうか?
上野
ひとつは不動産的な、場所貸しの側面が強いもの。店内には漫画とスポーツ新聞が置いてあり、競馬中継が流れている。コーヒーは味なんかはどうでもよくて、ホットかアメリカンがあればいい。大事なのは場所、という考え方のものです。
もうひとつは、蝶ネクタイをしたマスターがいて、こだわり豆は深煎りのキリマンジャロ、マンデリン、ブルーマウンテン。ドリップ中は話しかけるなよ、といった職人気質なお店。そういうお店ばかりでした。
加藤
ああ、私もそういう記憶があります。時間が止まったようなレトロな雰囲気が居心地が良かったりします。
上野
はい。それもひとつのスタイルなので否定はしません。でも、僕は格好いいと思わなかった。コーヒーって、もっとオシャレなものだと思うんですよ。それは僕とコーヒーとの出会いがちょっと特殊だったのかもしれませんが。
アメリカの格好よさとの出会い。

加藤
HPでの経歴を拝見する限り、すごく早い段階で海外のコーヒーに接されているように感じます。どういったキャリアを歩まれてきたのでしょうか?
上野
僕の人生を語り出すと1日がかりになってしまうので(笑)、かいつまんでお話ししますね。
僕のキャリアはアパレル業界からはじまりました。バブル景気の真っ只中でしたから、華やかな時代でしたね。表参道のセントラルアパートという今のオスカープロモーションが入っているビルで働いていました。
あのビルは屋上に登れるんですが、そこでタバコを吸っていると横に山本寛斎さんがきて「いい天気だね」と会話がはじまって、目の前で15歳だった後藤久美子がローラースケートで走っている。そんな時代だったんです。
でも、根が飽き性なんでしょうね。その後アパレルを辞めて、外資系のホテルのデザインチームに入ります。リッツカールトンやペニンシュラといったホテルを学びに世界中に赴き、ロンドンの骨董市やニューヨークのインテリアショップを巡ったりしていました。コーヒーに本格的に魅せられたのはそんな時期です。
加藤
それは、やはり海外で飲まれたコーヒーがきっかけだったんですね?
上野
はい。その頃、仕事でシアトルにある弁護士事務所に通っていました。年に何十回というペースです。で、打ち合わせをするたびに水しか出てこないのが不満でね。朝だとドーナツとかスコーンも出るんですが、そのときも水。でも、ある時から急に弁護士たちがコーヒー片手に仕事をするようになったんです。気になって僕も買いにいったらそこがスターバックスさんでした。
確かシアトルのコロンビアセンタービルの1Fだったと思います。コーヒーと頼もうとしたら、ドライカプチーノか、ウェットカプチーノか、カップはなんだと色々聞かれたのに戸惑いましたよ。でも飲んでみると美味しくて。それに内装や店員もすごくオシャレだった。
これはイケると思ってね、当時全米に店舗を持つチェーンレストランのコーヒーコンテストで優勝した会社の創業者と交渉して、その豆とブランドを日本に持ち帰ってお店を出しました。スターバックスさんやタリーズさんよりもずっと早く、いわゆるセカンドウェーブコーヒーと呼ばれる存在の先駆けだったと思います。
加藤
当時の日本はいわゆる純喫茶がメインだったわけですよね? すぐに受け入れられましたか?
上野
まず、実験的に博多のパチンコ屋さんの一角でオープンしました。U字カートという冷凍冷蔵庫や食器洗浄器などが一式ついた設備とエスプレッソマシンを船で持ってきて、あとバリスタもシアトルから呼んできてね。そしたら評判良かったんですよ。パチンコするおじさんも喜んで飲んでくれる。手応えを感じた僕はすぐに東京に進出しました。
でも、最初は苦戦しましたねぇ(笑)。30代で金もないから広告も打てなくて、アメリカ人スタッフに空のカップを持たせて東京駅の八重洲南口からブックセンターまで行ったり来たりと、歩く広告塔みたいなことを何往復もやりました。どうにか知ってもらおうと必死でしたね。
持ち込みたかったのは、コーヒーの文化そのものだった。

加藤
ジャワコーヒーは、それからどうなったんですか?
上野
2000年にロッテリアさんの増資を受けてさらに成長しました。でも、スターバックスさんやタリーズさんといったコンペディターが増えていく中で、国内の市場競争が激しくなってきた。その中で、主戦場を韓国に移そうという話になったんです。
韓国の方が、物件取得、家賃、競争相手の面でずっと有利でした。何よりロッテグループの支援がありました。韓国でやるべきだ。そう決めたときに会社をロッテリアさんに譲りました。本気でやるなら向こうで暮らす必要がありますが、僕は韓国に骨を埋める気がなかったんです。
それからさらに紆余曲折あって、今のFBCインターナショナルを設立。コーヒー関連の輸入・販売をしつつ、国内のコーヒー文化の浸透に力を注いでいる、というわけです。
加藤
はぁ……。それにしてもすごいキャリアですね。日本のコーヒー市場の移り変わりを当事者として目撃されてきたんですね。
上野
僕が海外から持ってきたかったのは、まさに向こうのコーヒー文化そのものでした。格好よくてオシャレなカフェカルチャー。
たとえばジャワコーヒーの女性スタッフは、シアトルUSAのキャップを被ってポニーテールスタイル。豆は全米でNO.1だったロースターから仕入れたアラビカ種100%。カップはアメリカ式。どれも国内初だったと思います。

上野
(ジャンバーの背中を見せながら)
このジャンバーはその当時のものです。シアトルのお店。やっぱり愛着ありますね。
(後編に続きます)

今回取材させていただいたFBCインターナショナル さんは世界中から選りすぐりのコーヒー関連商品を輸入・販売されています。インターネットでも購入ができるので興味ある方はぜひのぞいてみてください。ORIGAMIもありますよ!
FBCインターナショナル ECサイト
http://www.e-primal.com/esp_supply.html

加藤信吾
Kato Shingo
ORIGAMIのブランド設計に外部パートナーとして携わるなかで、様々なバリスタと出会い、各地のスペシャルティコーヒーに感動し、気がつけば一日2杯のコーヒーが欠かせない日々を送る。
twitter:@katoshingo_
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