1991年に軽井沢で誕生して以来、スペシャルティコーヒー界を牽引してきた丸山珈琲。世界レベルのバリスタが多数在籍することでも知られています。

ジャパン・バリスタ・チャンピオンシップ(JBC)で3度の優勝をおさめ、2017年のワールド・バリスタ・チャンピオンシップ(WBC)では準優勝も経験した鈴木樹(すずき みき)さんも、丸山珈琲に所属するバリスタの一人。現在は、若手バリスタの育成をするトレーナーや、丸山珈琲の商品企画開発部部長としても活躍されています。
今回は鈴木さんに、これまでの道のりや後進育成の醍醐味、商品展開にこめる思いについてお話を伺いました。


コーヒーは、一日に何度も癒やしと幸福を与えてくれる
──鈴木さんがバリスタになられた経緯を教えてください。
もともとは、高校を卒業して製菓の専門学校に通い、その後はパティシエとしてケーキ屋さんに就職をしました。ですが、仕事が結構大変で、当時はまだ若く遊びたい盛だったこともあり、すぐに挫折をしてしまいまして……(笑)。これから何をやろうかと考えていたところ、コーヒーに興味を持つようになりました。ケーキとコーヒーは雑誌でも一緒に特集されることが多く、パティスリーで働いていたときから「最近はコーヒーが流行っているんだな」と、気になる存在ではあったんです。お菓子って“特別な日を彩るもの”という側面が大きいと思うのですが、コーヒーは一日のなかで何度も人に幸福や癒やしを与えることができますよね。それってすごいことだなあと感銘をうけて、バリスタをやってみたいと思うようになりました。
──鈴木さんは、ジャパン・バリスタ・チャンピオンシップ(JBC)での3度の優勝経験や、ワールド・バリスタ・チャンピオンシップ(WBC)での入賞・準優勝経験など、バリスタとして輝かしいキャリアをお持ちです。これまで、大会にはどのような思いで取り組んで来られたのでしょうか。
バリスタになったころは、自分が大会に出るなんて考えてもいなかったんです。でも、2008年に丸山珈琲に入社して先輩たちの姿を見るなかで、道を極めたり、会社の名前を背負って何かを挑戦するのってかっこいいな、と憧れるようになりました。当時、丸山珈琲はちいさな会社でしたが、バリスタと名乗っている先輩はみんな大会のファイナリストだったりもして。ここで生き残っていくには、自分も大会で良い成績を残さなければ、という焦りもありました。
私は人前でしゃべるのも苦手ですし、人見知りですし、怒られるのも嫌いですし……(笑)。それでも、何かチャレンジしてみなければ学びや成長の機会も得られないのでは、と未熟ながらに思ったんです。上司や先輩からも「とりあえず一回やってみたら?」と背中を押されて、大会へ挑戦することになりました。
それぞれが胸に秘めた宇宙を表現することで、一定の“おいしい”を超えられる
──初めは、先輩への憧れや、ある種の焦りが挑戦へのきっかけになったのかもしれませんが、その後何年にもわたって大会への挑戦を続けられたということは、何か鈴木さんのなかでやりがいへの気付きなどがあったのでしょうか。
それは、大変むずかしい質問でして……(笑)。本当に楽しいなと思えるのは、大会に出終えたときだけなんです。毎回、「出ます」と言った瞬間から、「どうして出るって言っちゃったんだろう……」というハードな日々が続きます。それでも、いちばんのモチベーションは「先輩みたいにおいしいコーヒーを淹れられるようになりたい」という思いでした。「見た目はほとんど同じなのに、どうして先輩が淹れたコーヒーと味がぜんぜん違うのだろう」という悔しさも、原動力のひとつになっていたと思います。それで勉強を重ねるうちに、もっとコーヒーのことを知りたいという思いも強まっていきました。
それから、JBCで2回優勝したあと、なかなか優勝できなかった期間がありまして。それでも世界大会でベストパフォーマンスをして、丸山珈琲の取り組みを世界のみなさんにお伝えしたいという思いがあり、大会への出場を続けました。年々順位も下がっていき、その数年間は私にとっての暗黒時代だったのですが……最終的に、たとえ予選落ちになっても、胸を張ってこれが自分のベストだったと言えるくらいやりきろうと心に決めた結果、2017年にJBCで再び優勝でき、WBCでも準優勝することができました。きっと、それまでは「これくらいやれば優勝できるだろう」という甘っちょろい考えがあったと思うんです。最後と決めて、もう一度初心に返ったら、納得いく結果を出すことができました。

──現在では、大会を目指す若手バリスタのトレーナーとしても活躍されていますね。
私自身、大会に挑戦するなかで会社にたくさん投資してもらってきたので、今度は恩返しをしていきたいという気持ちで後輩バリスタたちのトレーニングをしています。これまでに20人近く教えてきたと思うのですが、お店で一緒に働いているときはクールな印象な子が、じつはめちゃめちゃアツい心を持っていたり、爽やかでやさしい子がものすごく打たれ強かったり、いろいろな発見があって面白いですね。ふたを開けてみると壮大な宇宙が広がっている……なんてことが多々あるんです。私もたくさんの考えや価値観に触れることで、気付きをもらっています。
みんな本当に十人十色といいますか、バックボーンも、大会を目指す動機もぜんぜん違います。壮大な夢や野望を持つ子もいれば、地に足のついた考えを持つ子もいて、それぞれとても素敵です。その個性をどう伸ばして、どのように大会でのパフォーマンスやドリンクの創作、プレゼンテーションに落とし込むか、一緒に考えるのが私の仕事です。
今は情報社会なのもあって、テクニカルな部分はほぼ満点が当たり前なんですよね。そのなかで差をつけるには、やはりオリジナリティが必要です。そもそも本当に技術だけを競うのであれば、大会では全員が同じ豆を使って、誰が淹れたかわからない状態で飲み比べて点数をつければいいと思うんです。そうではなく、審査員の目の前でエスプレッソを淹れたり、創作ドリンクをプレゼンテーションする種目があるというのが、大会の面白いところ。ある一定の“おいしい”を超えて、見ている人の胸をうつような個性が必要なんだろうな、と感じています。

“今、飲みたい一杯”を大切に
──2020年には著書『淹れる・選ぶ・楽しむ コーヒーのある暮らし (池田書店)』も発売されました。
コーヒーの本には男性的なものが多かったので、女性がゆるっと始めたくなるような本をつくりたい、ということでお話をいただきました。入り口として手にとっていただけるものを目指しつつ、そのまま興味が湧けばある程度専門的な知識も得ていただけるような本になっていたらいいな、と思います。
ただ、基本的な情報を本で伝えることができても、突き詰めるとその人の好みやオリジナリティが正解になってくる世界なので、何をどれだけ伝えるかの塩梅はとても難しいところでした。コーヒーのトレンドはこれまでにもどんどん変化してきましたし、今後も変わっていくはずなので、どうしても「現段階では」という枕詞が各所についてしまうんですよね。

──鈴木さんご自身がコーヒーのお仕事を始められてからも、トレンドの変化はいろいろと感じてきたことがあるのでしょうか。
かなり変化してきましたね。昔は深入りが当たり前でしたし、コーヒーといえばブレンドが定番でした。それが今ではみなさんが日常的にシングルオリジンを買われるようになって、「エチオピアのここの豆が好き」という会話がされるようになったのがすごいですよね。ほかにも、ペットボトルや缶のコーヒーでも飲み口への工夫があったり、「もっとおいしく」という思いが反映されるようになったと感じています。
一方で、コーヒーの楽しみ方が浸透したからこそ、「手軽においしく飲みたい」というニーズも高まっていると感じることがあります。


──その考えは、丸山珈琲でのお仕事にも影響していますか?
そうですね。私は現在、商品の企画開発に携わっていて、最近ではコーヒーバッグやドリップバッグなどの開発にも力を入れています。「身近にコーヒーを楽しんでいただけたら」という思いも大切にしながら、商品展開を行なっているんです。コーヒーバッグのほかにも、アロママグだったり、さまざまなスタイルでコーヒーを楽しんでいただくためのアイテムをいろいろと企画してきました。
ラングドシャやコーヒーゼリーなど、コーヒーを使ったお菓子を開発することもありまして。パティシエ時代の経験がここに来て生きるなんて……と、不思議な気持ちです。人生、何があるのかわかりませんね(笑)。


──おいしいコーヒーを飲めることが当たり前になったからこそ、それぞれが自由に楽しめるようになったのですね。そんな多種多様なコーヒーの楽しみ方を、丸山珈琲の豆やコーヒーバッグ、お菓子、マグなどさまざまなアイテムがさらに彩り豊かにしてくれそうです。
私自身も、コロナ禍を経て自宅でコーヒーを飲む機会が増えたのですが、やっぱり豆からひいてペーパードリップで淹れるのはおいしいな……と改めて実感しつつも、気分によっては「今日は粉でもいいかな」と思う日があったりして。バリスタをやっていると、つい“最高の一杯”を目指しがちなのですが、“今飲みたい一杯”もそれはそれで大切だな、と気付かされたんです。力を抜いて、もっと気楽に。お好きなスタイルでコーヒーを楽しんでいただけるような機会をお届けしたいな、という考えも強くなりました。
商品の開発は試行錯誤と微調整の連続で、形になるまで本当に道のりが長いのですが、今後も“お手軽だけれど本格的な一杯”の分野を開拓していけるよう、さまざまな商品を生み出していけたらと思います。

物腰柔らかで親しみやすい笑顔が印象的な鈴木さん。
後進育成に携わるなかで「その人が内に秘めているものを覗けることが面白い」と話していましたが、鈴木さんもまた、その身にまとうほんわかとやさしい空気の内側に情熱やエネルギーを秘めていることが窺えました。
コーヒーの飲み方が多様化し、生活様式の変化も影響してニーズが変わるなか、これまでコーヒー界を牽引してきた丸山珈琲が、きっと今後も多くの人に新しい楽しみ方をもたらしてくれるはず。
それぞれにとっての“今、飲みたい一杯”をかたちにするための、これからの商品展開も楽しみです。
聞き手/加藤高志

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