たった二坪の場所から広がる、人の輪。【自由なコーヒー。vol.11】

たった二坪の場所から広がる、人の輪。【自由なコーヒー。vol.11】

二坪喫茶アベコーヒー 阿部まりこ

2021.08.01

自由なコーヒー。

一杯のコーヒーに、無限の可能性を感じる人たちがいます。常識や流行にとらわれず、直感に従いながら、目の前の人やもの、ことに向き合う人たち。ロースター、バリスタ、ときに料理人、ビジネスマン、もしかしたら茶人も。場所や職業を問わず、さまざまな形でコーヒーに関わる彼らは、どのようなことを考え、その道を歩むことになったのでしょう。彼らの営みを通じて、コーヒーが持つ自由な側面を切り取っていきます。

渋谷から伸びる田園都市線沿い、溝の口駅より徒歩5分。開発された駅ビルを横目に、昔ながらの飲み屋街を抜けると、街角に築90年の洋館が現れる。かつて診療所だったこの建物は、リノベーションが施されシェアオフィス「nokutica」として息を吹き返した。そのオフィスの顔として、通りに面した一角にオープンした小さなコーヒースタンド。それが「二坪喫茶アベコーヒー(以下アベコーヒー)」だ。

若き店主の阿部まりこさんは、4年半前に広告制作会社のプロデューサー職から転身。コーヒーを一から学んでアベコーヒーを開業した。昨年秋、徒歩圏内に「二坪食堂」をオープン。現在は二店舗を経営しながら店に立っている。

アベコーヒーはオフィスのエントランス部分にあるという性質上、常設の客席はほとんどない。そこで客は、阿部さんとの話に花が咲くと、椅子をカウンター前に持ってきてそのひと時を楽しむ(隣の部屋が空いていればカフェスペースとして開放されることもある)。わずかな滞在の間にも、世代もバックグランドも異にする人たちがあれよあれよと集まり、去っていく。阿部さんと訪れる人々は互いを名前で呼び合い、対等な関係なのが見て取れる。アベコーヒーはサービスを提供する場というより、オフィス入居者と近隣住民による井戸端会議と言った方が相応しい。

話を聞くと、コロナ禍を経て街にも阿部さんたちにも変化があったという。阿部さん、そして取材当日居合わせて協力してくださった、建物全般の改修を担当し、nokuticaに事務所を構えるconté designの山田さんに、これまでの営みと今後について話を聞いた。

街との連結部分としてのコーヒースタンド

−–二坪喫茶アベコーヒーはどんな経緯で始まったのでしょうか?

阿部:アベコーヒーがあるシェアオフィスnokuticaは、地元の不動産会社エヌアセットが運営しています。この洋館は空き家でしたが、あるときオーナーからエヌアセットに、既存の建物を残したまま活用できないかと相談があって、シェアオフィス構想が始まりました。

計画が具体的になっていくなかで「せっかくの良い建物なのに、オフィスにすると決まった人しか出入りしなくてもったいないから、街との連結部分を作りたい」という声が挙がり、ここがコーヒースタンドになったんです。

10年来の付き合いになるというconté designの山田さん(左)と阿部さん(右)。nokutica改修にあたり「90年前の建物に、現代の建築素材を使うため、歴史に負けてしまわないようにする点で苦心した」と山田さんは話す

−–今ではまさにこの建物の顔となっていますね。どうして阿部さんがここへ立つことに?

阿部:前職時代から山田夫妻と仲が良かったんです。それで彼らがここを改修することが決まったとき、声をかけてくれました。

山田:僕たちあべちゃんのコーヒー好きだしやってみたら? と。僕たちがここへオフィスを構えることも伝えました。

阿部:それを聞いて、私たちはこの近くで同じマンションの階違いに住んでいたことがあるくらい親しかったので、また近くに居られるならいいなと思って。二つ返事でやりましょうかね、と。

即決するところが阿部さんらしい。辞職に迷わなかったかという質問には「大好きな仕事で会社との関係もよかったので、また戻りたくなったら戻れるなと思った」と答えた

−–その頃から山田さんたちにコーヒーを振る舞っていたのですね。いつかお店をやりたいと考えていたのですか?

阿部:「おばあちゃんになったら人が集まる空間が作りたいんだよね」と周りに話していました。その夢に向けて、当時はたまたまコーヒーを周りに出していて。キャンプに行っては「アベコーヒー」と名乗って、今考えれば適当なコーヒーを振る舞っていました。私、コーヒーの豆を計って淹れるなんて知らなかったんですよ(笑)。

−–でもコーヒーは好きだったんですよね?

阿部:はい。流行りのコーヒー屋さんは全然知らなかったんですけど、純喫茶がすごく好きで。いつか空間づくりに携わりたくて、大学の卒業論文は「喫茶店空間とカフェ空間の違いについて」というテーマで書いて。

山田:僕たちはその論文のことも聞いていたし、彼女が純喫茶が好きなことも知っていたので、お誘いしました。

−–それで開業が決まり、コーヒーの猛勉強を。

阿部:退職して半年間、中川VIVA亮太さんのもとで主にネルドリップを教えてもらい、メルボルンの下山修正さんのスクールにも通いました。

−–以前阿部さんが出す軽食もいただいたことがありますが、もともと美食家なのもあってお店で出てくるものはどれも洗練されていて美味しいですよね。アベコーヒーのブレンドにも、オフィスで働く人たちへの配慮が感じられます。

阿部:はじめの二年ほどは「アベコーヒーブレンド」というオリジナルのブレンドだけを出していました。ナチュラルで美味しいエチオピアが3割、エチオピアのウォッシュトが2割、それとケニア、グアテマラ、コロンビアが入っています。華やかさはあるけど、何かひとつが抜きん出ていることのないように、酸味がくることもなく、とにかく落ち着いた、みんなが飲めるようなもの。上品で上質な印象が後から伝わっていくようにしました。オフィスで働く人たちが1日に何杯飲んでも胸焼けしないように、絶対に雑味を出さないてすっきり終わらせるというのは、最初の豆の開発の時からこだわりました。焙煎は、練馬のさかい珈琲さんにお願いしています。

−–老若男女が集うからこそのこだわりですね。今では豆の種類が豊富になって驚きました。

二坪食堂オープンに伴い食事に合うコーヒーを研究し、さらに豆のバリエーションを増やした

−–アベコーヒーへはさまざまな人が集まってきますし、オフィスのエントランスという特殊な場所ですが、どんなことに気をつけていますか?

阿部:皆さんが気持ちよく過ごせるように、挨拶は元気良く。入り口にこの店があることで、ただオフィスを利用するだけの人がコーヒー買わないと、と気負わなくて済むようにしたいと思っています。

自分の大事なお友達が家へ来た時にもてなすイメージで。サービスする側、される側という関係性でなく、人と人として対等でありたい。お客さんのことは「お客さん」ではなく、名前で呼びます。そうやって関係性を築いているので、気づいたらお客さんがお皿洗いしてくれていることなんかもあります(笑)。

−–Tokyo Coffee Festival出店も山田さんや常連さんが手伝っていましたし、二坪食堂のスタッフさんも常連だった方々ばかりだと聞きました。阿部さんが中心となり、みなさんでこの場を作っているのですね。

コロナ禍で深まった地域との繋がり。暮らしを通して拡がる輪。

−–地域に開かれた場としてオープンしたコーヒースタンドですが、県外や海外からの来訪者も絶えませんよね。

阿部:ありがたいことにオープンしてすぐTokyo Coffee Festivalでご紹介いただいたのもあって、当初はコーヒー好きの方やSNSを見ている方が足を運んでくださいました。

−–そこから3年半で、どうやって溝の口へ根付いていったのでしょう?

阿部:もちろん初めから地元の人たちもきてくれていましたが、コロナ禍でより根が深まったと感じています。緊急事態宣言が発令されて人が電車で移動しなくなり、これまで来ていなかった近所の人たちが、リモートワークの間の散歩の目的地としてここへ来てくださるようになって。当時は小さな窓口からテイクアウトを提供するだけでしたが、コーヒーと豆を買っていく人が増えて、やっと地域に根付き始めていると実感することができました

オープンした日にはかつて診療所だった際にここで生まれたという人や、学習塾として使われていた時代に通った人も集まった
コーヒー店は古い喫茶店が数軒、コーワキングはnokuticaと他1軒のみだった溝の口。コロナ禍でコーヒースタンドやコワーキングスペースが次々とオープンしている

−–山田さんから見て、アベコーヒーはどう映っていますか?

山田:コーヒーが単なる飲み物ではないということを目の当たりにさせられました。ここで彼女を中心に人が集まり、物事が動いていくのを見ていると、コーヒーは文化を作るんだということをひしひしと感じさせられます。実際僕も、ここで普段の生活では出会わないお年寄りの知り合いがたくさんできました。

今は彼女が休みの日は他のスタッフが立っていますが、以前彼女が立たない日は定休日だったんですよ。定休日に彼女がここにいないだけで、この場の雰囲気が全然違うんですよね。彼女がいるだけでここがいかに明るくなっているかよくわかりました。

−–阿部さんは来訪者一人ひとりと気さくに話すだけでなく、合いそうな人同士はつなげたり、時に意見を交わしたりと、自然体で相手に媚びることなく接していて、それが人間関係を醸成していってるように思います。

アベコーヒーを運営するにあたって心がけていることはありますか?

阿部:素のままで要ること、ですね。自分たちを大きくも小さくも見せない。そして出すものに嘘がないこと。自分たちが好きで良いと思うものしか出しません。

−–最近では二坪食堂もできましたし、nokuticaの庭を地域の方々に開放する日を設けていますが、どんな変化がありましたか?

阿部:より滞在しやすくなり、来てくれる方が増えているのを感じます。最近ではファミリー層のお客さんが来てくださるようになりました。

−–最初はオフィス利用とコーヒーが来訪目的だったのが、食事を摂る、オープンスペースでくつろぐ、という具合に、過ごし方の選択肢が増えて、さらに人の輪が広がっているようですね。

今後やってみたいことはありますか?

阿部:当初から二坪でできることをいくつかやりたいと考えていて、食堂オープンは実現することができました。日常生活が少し楽しくなるような日用品を扱う商店や、花、器、そしてギャラリーなど、好きなものを詰め込んだ二坪のお店をたくさん出来たら楽しいなって思います。

ここに来れば、好きなものが揃うし、誰かに何かをプレゼントしたくなる。自分の周りにも嬉しいを届けたくなる。この地域が、そんなお店の集合する場所になったら素敵だなと思ってます。

それから、実は溝の口ってアーティストや音楽家といった表現することを職にしている人がたくさん住んでいるので、それぞれ点在しているので繋げていけたら面白いんじゃないかなと思ってます。

小さなカウンターから溝の口を見つめてきた、阿部さんの眼差し。
筆者は開業当初の阿部さんにも会っているが、まわりに「元気なお姉ちゃん」と呼ばれていた彼女は、元気さはそのままにすっかり顔つきが変わっていた。店のみならずnokutica全体、あるいは地域の要を担ってきたことが、表情に滲み出て伝わってきた。

アベコーヒーで見かける井戸端会議が、「二坪」を手がかりにこれからどう発展していくのか。これからが一層楽しみになる取材だった。

Photography: Nathalie Cantacuzino

二坪喫茶アベコーヒー/二坪食堂
https://2tsubo.com/

木村びおら

Viola Kimura

出版社勤務を経てエディター/ライターに。雑誌や書籍、WEBなどで編集・執筆をするほか、イベント企画やPRなども手がける。現在は医療専門誌の編集の傍ら、教育、福祉、デザイン、ものづくり、食などのコンテンツ制作に携わっている。写真家の夫と2人の子どもと4人暮らし。

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