誤魔化せない時代、コーヒーを巡る関係性を考える。【自由なコーヒー。vol.5】

誤魔化せない時代、コーヒーを巡る関係性を考える。【自由なコーヒー。vol.5】

IFNi ROASTING & CO.(静岡)松葉正和

2019.08.23

自由なコーヒー。

一杯のコーヒーに、無限の可能性を感じる人たちがいます。常識や流行にとらわれず、直感に従いながら、目の前の人やもの、ことに向き合う人たち。ロースター、バリスタ、ときに料理人、ビジネスマン、もしかしたら茶人も。場所や職業を問わず、さまざまな形でコーヒーに関わる彼らは、どのようなことを考え、その道を歩むことになったのでしょう。彼らの営みを通じて、コーヒーが持つ自由な側面を切り取っていきます。

コーヒー豆は、多くの場合、遥か遠くの土地から私たちの元へやってくる。さらに焙煎やブレンドといった工程は、ロースターや大手企業など、家庭の外の専門業者でなされることが一般的だ。今でこそ、誰でも抽出できる器具が出回るようになり、自宅でコーヒーを淹れる層が厚くなってきたが、それでもなお「オリジナルの美味しいコーヒー」というと、スペシャリストじゃないと手がけられないような、そんなイメージが強いのではないだろうか。

静岡でIFNi ROASTING & CO.(イフニロースティング&コー、以降「イフニ」)を営む松葉正和さんによると、かつてコーヒー豆は家庭で煎るものだったという。1900年代初頭までのヨーロッパやアメリカでは、薬局で生豆を買った母親が、家のキッチンで煎ってコーヒーを淹れるのが日常風景だったとか。時代の変化に伴い共働き世帯が増え、焙煎業者が登場し、人々とコーヒーの関係性が変わっていった。

松葉さんは豆を焙煎し、コーヒー豆直売所を営業する傍ら、自ら抽出器具や家庭用焙煎機を開発し、「家で飲むコーヒーの楽しみが増えたら良いなと思うんです」と話す。

「焼いた豆の売り手、買い手、というのは、焙煎業者が生まれてから発生した関係。コーヒーショップが発信する情報を受け取るだけじゃなくて、誰でも自由に、自分の飲みたいようにコーヒーを楽しめるはずなんです」。これが、松葉さんが道具を作り続ける理由のひとつだ。

そんな松葉さんは、コーヒーをどのようなものと捉えているのか。いちロースターとしてどんな役割を担っていこうとしているのか。穏やかな晴天の日に、静岡市の焙煎所兼コーヒースタンドで話を聞いた。

何気なくいつも使ってしまう道具を。

松葉さんはロースターやコーヒースタンドを営みながら、コーヒーまわりの道具を色々と開発していますね。一番最初に作った道具は何だったんですか?

松葉
BEAKですね。通称「くちばし」。ドリップポットって意外と高いなと思って、やかんや急須でも細い注ぎ口で淹れられるようにと考えて作りました。僕がコーヒーについて知り始めた頃は、そもそもドリップポットを使うことも知らなかったんですよね。細く淹れたいな、とは思っていて、でもやかんと急須しか持ってなくて。試しにこの「くちばし」を作ってみたところ、なかなか良かったので、他の人にも使ってもらえるように商品化したんです。断面のところがすごく微妙な角度でできているから量産が難しくて、ずっと職人さんに作ってもらっています。

松葉
5、6人分淹れる時ってはじめだけ細い線で入れて、その後は太い線で入れた方がいいって時もあって。そういう時、これは取り外しができるんですよね。

実際に家で使う状況をイメージしての発想ですね。私が使っているイフニさんのドリップスタンドも、アームを取り外せばカッティングボードにもなって、とても便利です。

松葉
ドリップする時間なんて一日に数分なんだから、汎用性がないと勿体ないなと思って。コーヒー道具は、スタイルじゃなくてただの日用品。どこの何、というブランドに縛られずに、「なんだかんだこれ使うな」ってくらいがちょうど良い。そんなものを作りたいと思っています。

淹れ方について「この豆は何グラムで何CC入れてください」といった説明書きが多いですが、いつも同じ条件を多くしておいて、粉の量や挽き目を調整すれば、自分の好きな味を作りやすくなります。そうすればプロの技術がなくともそれぞれが楽しめます。

僕は焙煎で食べてるのに、プロとアマ関係ないものを出してくっていう真逆のことをやっちゃってるんですよね(笑)。でもそれも良いかなと。こだわりがそんなにないんですね。あんまりこだわりがない方が良いなって思ってます。

“好きな味”を探求してみて欲しい。

今はどんな道具を作っているんですか?

松葉
家庭で使える焙煎機を。大人も子どもも使えて、フライパンとしても使える形状。調理ができて、ついでに豆も煎れる。

ブレンドって往々にしてお店主体なものになっていますが、もっと個人的なことになっていいと思うんです。自分でやることで、コーヒーの味や香りに関してわかることってたくさんあるんですよね。

浅煎りだと酸味や香りがある。中煎りだと甘みとかコクがだんだん出てきて、でも香りは飛んでしまう。深煎りにするとほとんど酸味や風味は無くなって、ボディと甘みが深くなっていって。甘みもあって酸味があるものを飲みたかったら、浅煎りと中煎り混ぜてみる。そうやって、自分の好きな味を探してみてほしいなって思うんです。

人から言われたイメージだけで飲んでも、自分が美味しく感じているかわからなくなってしまうところってあると思うんですよね。それならみんな煎るところからやってみれば良いなと。

好みの味を淹れる術は、その昔家庭で豆を煎った母親たちも持っていたはずですよね。

松葉
そうそう。自分で焙煎すれば自分で味の基準を持てるから、お店で説明を聞いても読み取り方がすごく変わります。みんなが同じ感想を語るってありえないと思うんです。

もう、誤魔化せない時代。

松葉さんはご自身の仕事をどのように捉えているんでしょうか。

松葉
僕は焙煎っていう作業をしてるだけで、それはただの一時加工なんですよね。それをみんなの料理の材料に使ってもらってるっていうだけで、影の仕事だと思っています。

焙煎士は職人って言われたりもしますが、俺がコーヒーについて教わってきたことはあくまで作業員として。魔法を使って焙煎するから美味しくなるってことではなくて、ある一定の条件で熱を当てれば、自然の産物で化学変化していきます。

回数をこなしたり、いろんな種類の豆をいろんな焼き方でやったことあるか、どれだけゴール地点を知ってるかってことだけなんです。それをずっとやってると作業でしかなくなるんですよ。特別な技って実は存在しないと思っています。

コーヒーとの出会いはエジプトだったと伺いました。

松葉
学業でカイロに赴いているときに、エジプトの日本大使館の人にコーヒー奢ってもらって、それが美味しくて。子ども時代に親父が飲んでたコーヒーがまずくて、18になるまで嫌いで飲まなかったんです。ただ、その時飲んだのは上澄みだけ飲むいわゆるトルココーヒーだったので、今飲んだら美味しいと思わないかもしれません(笑)。

それがきっかけでコーヒーの仕事を?

松葉
そう、カイロ旧市街の焙煎所に通い始めて。そのうち色々気になって、いくつもの国でコーヒー屋や焙煎の現場を見て回りました。

みんなコーヒーに関してバラバラのことを言って、やり方も全然違うので、何が正解かわからなくなって。疑問を投げかけても、「これはこういうものだから」って言われて理由まで行かないことがたくさんあって。それがすごいモヤモヤしたんです。

日本でも海外でも、大量生産や加工の過程でたくさんグレーゾーンなことが行われていることも知りました。それで、もっと真っ当な情報を伝えたいし、そうなるべきだって強く思ったんですよね。

そうしたご経験を経て今のイフニがあるのですね。道具以外の面からのアプローチも考えているんですか?

松葉
みんなが良い生豆を手に入れられるようにしないとな、と考えてます。豆の希少性ってただ収穫量が少なかったり、売り手主体の美味しさの押し付けだったりして、それはコーヒービジネスであってコーヒーではないと思うんです。

お客さんが自分で焙煎できるようになって、売ってる豆も良いけど、自分でやった方が美味しいかも、って思えるようになったらコーヒー屋ももっと切磋琢磨する。それって良いことなんじゃいかって思うんです。こんなこと言ってたら、同業者たちに怒られそうですが(笑)。

でももう誤魔化せない時代だと思います。コーヒーがもっとお客さん寄りなものになって、それがコーヒー業界、そしてお客さんの底上げにもなったら良いなと。

コーヒーは、至極人間的なもの。

「好みのコーヒーの味」について、どのように捉えていますか?

松葉
好きな味って、往々にして美化されてるものだなと思います。人間って忘却するし、記憶は美化されるし、好みも移り変わるし、コーヒーのクオリティも流動的に変わってく。コーヒーの味や好みについて考えてると、それってすごく人間っぽいものだなと思います。コーヒーにおいて、キャリアや機械ってあまり関係ないと僕は思っています。

だからこそ、自分の手で味を探求していくことに意義を感じますね。

松葉
毎回豆の状態は違うはずなので、味は変化して当然です。同じクオリティで淹れられるかっていうのも慣れてるか慣れてないかだけの話で。プロかアマかってとこはどういうところでやってるかってところの話ですよね。

松葉
昔、ブラジルで写真家の高橋ヨーコさんと過ごしたことがあるんです。同じホテルに泊まって一緒に街なかを歩いたりして。で、ヨーコさんに「写真ってどうやってうまく撮るの?」と聞いたら「iPhoneでもそれなりに上手く撮れるよ」って言われて。「あ、そうか」と拍子抜けしました。

失敗して親に怒られて子供が分別を持ちながら育つのと同じで、僕はやったことないことも色々試してみることにしています。いつも合格点を狙ってそれ以外は知らないってことになると、幅が狭いなと思うんです。

それはコーヒーや写真以外にも言えることですよね。お話を伺って、松葉さんのコーヒーに対する考えがとてもシンプルなものなのだとよくわかりました。

松葉
自分が子どもの頃コーヒーにいい思い出がなかったけれど、いろんな人に楽しんでもらいたいなと思うんです。最近は大人がコーヒーを飲んでいると子どもも飲んだりするみたいじゃないですか。それでうちでもカフェインレスを作りました。

それぞれのイメージで「美味しい」が変わるのは当たり前。僕らは不味くないっていうのを基準でやっています。なんとなく飲んでで、いつの間にか飲み終わって、もう一杯くださいってくらいのものが作りたいですね。主役にして大事に飲むっていうよりは、お茶みたいに、さりげなくそこにあるってくらいがちょうど良い。

これからも日常に溶け込むようなコーヒーのあり方を体現していってください。私もコーヒーの味の世界を探訪していきたいと思いました。本日はありがとうございました。

松葉さんの澄んだ瞳とまっすぐな眼差しは、18歳の時のまま、これからも変わることがないのだろう。

ORIGAMIもコーヒー用品を扱っているが、誰のための器具なのか、さらに何のためのカップなのかについて、改めて考えさせられる取材となった。

コーヒーに限らず、もののあり方や関係性について、身の回りを今一度見渡していきたいと思う。

Photography:Tomohiro Mazawa
Thanks to:Ai Hasegawa

IFNi ROASTING & CO.
https://www.ifni-roastingandco.com/

木村びおら

Viola Kimura

出版社勤務を経てエディター/ライターに。雑誌や書籍、WEBなどで編集・執筆をするほか、イベント企画やPRなども手がける。現在は医療専門誌の編集の傍ら、教育、福祉、デザイン、ものづくり、食などのコンテンツ制作に携わっている。写真家の夫と2人の子どもと4人暮らし。

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