
日本人としての誇りを胸に、死にもの狂いで、メルボルンでバリスタになった。【自由なコーヒー。vol.3】
Market Lane Coffee Head Roaster / Quality Control 石渡 俊行
2019.05.09
自由なコーヒー。
一杯のコーヒーに、無限の可能性を感じる人たちがいます。常識や流行にとらわれず、直感に従いながら、目の前の人やもの、ことに向き合う人たち。ロースター、バリスタ、ときに料理人、ビジネスマン、もしかしたら茶人も。場所や職業を問わず、さまざまな形でコーヒーに関わる彼らは、どのようなことを考え、その道を歩むことになったのでしょう。彼らの営みを通じて、コーヒーが持つ自由な側面を切り取っていきます。
オーストラリア メルボルン。大陸の南東部に位置し、ポート・フィリップ湾に面した港湾都市として発展し、同国第2位の都市として知られている。
セントパトリック大聖堂、ビクトリア国立美術館、王立展示館にカールトン庭園といった歴史的な建造物や文化施設と、巨大なオフィスビルが調和したこの街は、首都シドニーと並ぶ経済の中心地であると同時に文化の発信地でもある。

そして、世界でも有数のカフェカルチャーが根付く街だ。
世界一カフェが多い街、とも言われるほどに、街中では至るところにカフェが軒を連ねている。その多くは、豆にこだわったシングルオリジンのスペシャリティコーヒーを提供し、いわゆるサードウェーブコーヒーの先駆けとも言われている。

コーヒー好きはもちろん、バリスタ、ロースターにとっても憧れの街であるメルボルン。ここで、もっとも有名な日本人バリスタ・ロースターが、Market Lane Coffee(以下マーケットレーン)で働く 石渡 俊行さんだ。
石渡さんがメルボルンを訪れたとき、バリスタの経験はゼロだったという。若さと情熱だけを胸に、コーヒーをイチから学び、メルボルンでも名高いマーケットレーンで焙煎とクオリティコントロールの責任者という重要な役職を任されるようになった。
彼はどうして未経験にも関わらず日本を飛び出したのか。どうやって現地で信頼を勝ち得たのか。石渡さんが偶然にもORIGAMIと出会い、導入を決めたタイミングだったのを幸運に、話を聞かせてもらった。


そもそもの話しからになってしまうんですが、石渡さんが日本を出てメルボルンに来た経緯から教えてください。
メルボルンに腰を据えてからは13年ぐらいになります。それまでは日本と行ったり来たりして、その前はワーホリでニュージーランドにいました。当時は英語の勉強をして、英語が上達したら外資系の仕事がしたいという思いがあったんです。でも、なかなか現地の仕事は見つからなくて、ずっとレストランで皿洗いのアルバイトをしていました。
コーヒーを学びに海外に飛びたしたわけじゃなかったんですね。
最初は違いました。僕は父の仕事の関係で、2歳から8歳までブラジルのサンパウロに家族で住み、その後1年半くらいアメリカに住んでいました。日本に戻って就職したのですが、子どもの頃に体験した海外の生活、文化や食べ物がずっと恋しくて、それで仕事を辞めて海外に行ったんです。
ニュージーランドでアルバイトをしていた話に戻るのですが、そこで出会ったシェフが淹れてくれたコーヒーが、すごく美味しかったんです。いつも飲むコーヒーとは全然違う。なんで? と聞いたら、バリスタのコースに通っていると教えてくれました。淹れ方ひとつでこんなに味が変わることに衝撃を受けて、そこから徐々にコーヒーにのめり込んでいきました。
しかし、英語力と経験不足でニュージーランドではバリスタの仕事が見つからず、ワーホリ生活も残りわずかとなったとき、メルボルンのコーヒーカルチャーが進んでいることを友人に教えてもらいました。中心部だけでもカフェが100軒以上あると。だったら1軒ぐらいは雇ってくれるだろう、とすぐにオーストラリアのワーホリを申請したのですが……その考えは甘かったですね(苦笑)。

なかなか雇ってもらえなかったんですか?
経験も専門的な英語力もなかったですからね。3ヶ月ぐらい毎日のように探しましたが、バリスタとして雇ってくれるお店は見つかりませんでした。ただ、手持ちのお金はなくなっていくので、仕方なくレストランの皿洗いとクリーニング屋と牛乳配達のアルバイトを掛け持ちしていました。
そのうちの牛乳配達はカフェが提供するサービスでした。いずれはバリスタに移行するのが条件で始めた仕事でしたが、しばらくしてオーナーと話をした際に「もし、トシがバリスタをやったらお客さんが来なくなる。バリスタはコーヒーを淹れるだけじゃなくて、お客さんとコミュニケーションをとったりオーダーを暗記したりしないといけない。トシには任せられない」とはっきり言われました。

それでも諦めきれず、別のカフェでバリスタの仕事をしたいとドアを叩いたら「じゃあ明日の朝の5時半にお店の前に来て」と言ってもらえました。ヤッター! と喜んで翌日お店の前で待っていると「まさか来るとは思わなかった」という感じで驚かれましたが、一ヶ月ほど働かせてもらいました。でも結局、そこでも最終的には他を探してと言われます。トータルで150枚ぐらいレジュメ(履歴書)を 配ったと思いますよ。

たどり着いたのは、どんなお店だったんですか?
初めてバリスタとしてコーヒーを淹れたのはコーヒーカート(移動販売車)を所有するオーナーの元で働いたときで、イベント会場や競技スタジアム、週末のファーマズマーケット等でコーヒーを淹れました。
その後、多いときには週に4箇所のカフェを掛け持ちし、忙しくもとても充実した日が続いていました。それでも、もっと上を目指したくて、スペシャルティーコーヒーにフォーカスしたカフェで働きたいと考えていたところに、知り合いの友人が焙煎所を併設したカフェをオープンしたと聞き、ST.Ali(セントアリ)に行きました。

セントアリの周辺は工業地帯で、誰も気付かないような場所にありました。一角に大きな倉庫があり、入口に小さく控えめにST.ALiとだけ書いてあります。中に入ると大きなテーブル、その奥にはオーストラリアで最初に導入されたシネッソ(エスプレッソマシン)、さらに奥にはレネゲイドロースター(焙煎機)がちらっと見える。とてもかっこいいカフェでした。ラテもとても美味しく、オーナーであるマーク・ダンドンにここで仕事がしたいと伝えました。
「コーヒー作ってみて」と言われ、初めてのマシンに緊張しながらコーヒーを何杯か作ったところ、働かせてもらえることになりました。まだオープンして10日ぐらいだったと思います。ワーホリが切れる3ヶ月前でした。
今でこそセントアリはメルボルンでも知られた名店ですが、僕が入ったころはまだ小さなお店でした。それでもオーストラリアで初めてスペシャルティーコーヒーを扱ったマイクロロースタリーカフェで、マークもパイオニアとして尊敬されています。そこで働くことができたことをとても嬉しく思っています。

バリスタとして働ける喜びも大きかったんでしょうね。
最初の数週間はシネッソの後ろに立つたびに嬉しさのあまり何度も体が震えました。今でもその気持ちは忘れないようにしています。これだけやりたかった仕事をしているんだって。それを思えば、多少大変なことがあっても大丈夫です。
マークさんに言われたことで、記憶に残っていることはありますか?
もっとリラックスして、トシ。ってよく言われてました。Take it easy. Chill out.って。でも本当にその通りなのです。夢中で働いていると、疲れていたことも忘れてしまうし、味覚も鈍ってくるので、休まないといけない。
それだけ働いていたんですね。
当時、僕は28、9歳でした。焦っていましたね。メルボルンで早い人は14歳くらいから学校の就労体験で働くことができるし、20歳になる頃にはコーヒーのことをなんでも知っているという人がたくさんいます。中途半端なやり方じゃ絶対に追いつかないと思い、がむしゃらに働きました。
日中は職場で、家に帰ったらコーヒーに関する本を読み漁り、たまの休日もカフェ巡りをして、ときには自転車で片道40分かけて、何がおいしいコーヒーなのかを学んでいきました。起きているときはコーヒーのことしか考えていませんでした。とにかく働いて、経験を積んで、上達して、早く自分のコーヒーを多くの人に飲んでもらいたかったのです。

その頃には、バリスタで生きていく決意のようなものができていたんでしょうか。
セントアリで働きはじめたとき、そう思いました。僕は多趣味で飽き性なんですけど、コーヒーだけは飽きないしやればやるほどに疑問が出てきます。何より、おいしいコーヒーを飲んだときは、本当に幸せな気持ちになります。ニュージーランドで知り合いが淹れてくれたコーヒーや、メルボルンで通っていたカフェで飲んだあの味が忘れられないし、素晴らしい一杯を飲んだ日はどんなに嫌なことがあっても幸せな一日になります。そういう気持ちを、マーケットレーンにコーヒーを飲みに来てくれた方やいろんな人に知ってもらいたいですね。
そのためにやれることは、本当にたくさんあります。僕は11年くらいロースターとして仕事をしていますが、焙煎ひとつとっても満足しきることはありません。さらに抽出や豆の買い付け、道具の選定でも味が変わってくる。可能性は無限です。

道具の選定という点では、origamiを導入いただいたこと、代理店を引き受けたことについても聞かせてください。
きっかけは、2018年の大阪のコーヒーフェスティバルでした。ちょうど仕事と休暇を兼ねて一時帰国していて、そこでトランクコーヒーの鈴木さんに会ったのです。トシさんこれよかったら持っていってください、と手渡されたのがORIGAMIのドリッパーでした。

すごく斬新なデザインだと思って鈴木さんに聞いたら、陶器の特性や形状で抽出するスピードを遅くしているなど、ひとつひとつ説明してくれました。そこまで考えられているのだと知ったら興味が湧いて、メルボルンに戻ってすぐに使ってみたんです。すごく美味しかった。クリーンでありつつ豆の個性がしっかり出ているし、冷めにくいから熱めのお湯を注がなくていい。かなりニュートラルな状態で抽出ができると気づきました。
本当に美味しくて、え? って驚いて何度も淹れました。何回試しても美味しくて、すぐに使いたいと鈴木さんに取り寄せてもらいました。みんなにも知ってもらいたくて代理店契約もしました。岐阜で作っているストーリーもいいなと思いましたし、日本製のものを胸を張って提供できることは嬉しいです。
イベントでも使っていただいたとか。
はい。クジで器具を選んでレシピを考えて競うイベントを主催しました。6種類の器具を選定したのですが、勝った人はほぼ全員ORIGAMIのドリッパーでした。ORIGAMIの特徴は誰でも淹れやすいことです。ペーパーフィルターもコーン型、円すい型両方対応できますし。みんなが喜んで抽出している姿を見ていると、早くみんなの手に渡ってほしいなって思います。

ありがとうございます。最後に、これからの目標などあれば教えてください。
この仕事の一番の喜びは、人との出会いです。様々な人と出会うことによって、ここまで可能性が広がってきました。ニュージーランドでコーヒーのおいしさを教えてくれた友人、セントアリのマーク、現在の職場であるマーケットレーンのオーナーであるフラー、ジェイソン。それに何といっても、海外まで付いてきてくれて支えてくれる妻は、僕がもっとも尊敬する人です。
加えて、コーヒー農園に長い間買い付けに行かれていた日本の大先輩方には感謝するばかりです。現地の人たちとの信頼関係を大切にされている方々が多く、同じ日本人である僕に初対面でも好意的に接してくれます。この良好な関係をこれからも続けていかなければ、という思いは強くあります。
これからもいろんな人に出会って、新しい事業をはじめたり、斬新なアイデアが生まれたりすると思います。僕自身、できるだけ毎年新しいことを始めたいですし。ただ、同時に自分が継続してやっていく部分もあります。やめずに続ける、ということも大事にしていきたいですね。


取材が行われたのは2月。寒い日本とは違って、メルボルンではときに30度を超える暑さだった。カフェのテラスでは、半袖やノースリーブでコーヒーを楽しむ人たちの様子が印象的だった。

石渡さんが働くマーケットレーンでは、当然だがほとんどが現地の人だ。その中で、ヘッドロースター、クオリティコントロールマネージャーとして働く日本人というのは異色であり、ここに立つまでの苦労は想像に難くない。
バリスタを目指してメルボルンに訪れる日本人に、何かアドバイスはありますか? と聞くと、石渡さんは「僕がきた頃とは違うから……とにかく諦めずに仕事を探せばなんとかなるんじゃないでしょうか。英語力は絶対にあったほうがいい。来ると決めたなら死ぬ気で勉強してください。そして、とにかく手を抜かずに働いてください。日本人としての誇りをもって」と、真剣な眼差しで答えてくれた。
彼が、コーヒーの聖地とも言えるここメルボルンで、確固たるポジションを築いたその理由が垣間見えた気がした。
Interview:Ai Hasegawa
Photography: Tomohiro Mazawa
Edit, Text:Shingo Kato
オーストラリア メルボルン
Market Lane Coffee
https://marketlane.com.au/

加藤信吾
Kato Shingo
ORIGAMIのブランド設計に外部パートナーとして携わるなかで、様々なバリスタと出会い、各地のスペシャルティコーヒーに感動し、気がつけば一日2杯のコーヒーが欠かせない日々を送る。
twitter:@katoshingo_
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