盛岡の地から、「あなたのためのコーヒー」を届ける。【自由なコーヒー。vol.4】

盛岡の地から、「あなたのためのコーヒー」を届ける。【自由なコーヒー。vol.4】

NAGASAWA COFFEE 長澤一浩(盛岡)

2019.05.21

自由なコーヒー。

一杯のコーヒーに、無限の可能性を感じる人たちがいます。常識や流行にとらわれず、直感に従いながら、目の前の人やもの、ことに向き合う人たち。ロースター、バリスタ、ときに料理人、ビジネスマン、もしかしたら茶人も。場所や職業を問わず、さまざまな形でコーヒーに関わる彼らは、どのようなことを考え、その道を歩むことになったのでしょう。彼らの営みを通じて、コーヒーが持つ自由な側面を切り取っていきます。

市内には三本の川が流れ、気づけば橋を渡っているということがよくある

盛岡と聞いて、どんなイメージが浮かぶだろうか。宮沢賢治、南部鉄器、冷麺、わんこ蕎麦…。盛岡市内には煉瓦造りの歴史的建築物が軒を連ね、文学や民藝運動の名残を感じられることから、盛岡は、「古きを重んじる街」として知られている。文豪や活動家がサロンとして利用していた背景から、喫茶店が多いことも、盛岡が築いてきた文化の一面だ。

広々と贅沢な空間づかいで、ベビーカーにも車椅子にも、ペット連れにもフレンドリーな新店舗
日本のコーヒースタンドでは珍しい後会計。ここで過ごす時間を会話で締めくくれるように、という計らいだ

長澤一浩さん、ゆかりさん夫婦が営むNAGASAWA COFFEEは、盛岡に店を構えて8年目。2018年秋、平米数が約2倍の広い物件へ店舗を移転した。こじんまりとしたアットホームなコーヒースタンドは、席数と雰囲気はそのままに、広々とくつろげる空間へと生まれ変わった。店舗の一角には巨大なヴィンテージの焙煎機が置かれ、老若男女がコーヒー片手に各々の時間を過ごす横で、今日も一浩さんが豆を焙煎している。

盛岡の人々について、「古きを重んじる一方で、新しいものに対する関心の強さも持っている」と話す一浩さん。それゆえのアップデートを重ねる場として、NAGASAWA COFFEEがあるのだろう。

一浩さんは約5年もの年月をかけて焙煎を研究した末に開業準備へ漕ぎつけたが、契約書に判を押す3日前に東日本大震災が発生。全てが白紙に戻った。それでも、この地に店舗を作ることになった経緯とは? 日頃あまり語られることのない、NAGASAWA COFFEEの営みの根底にある思いについて、話を聞いた。

できるだけ、たくさんの人に寄り添える味をつくる。

これがプロバット社の焙煎機ですね。店内で目の当たりにすると、すごい迫力。

長澤
ドイツの焙煎機メーカーの老舗が60年代に作ったヴィンテージです。釜の鉄鋳物が現代の製品より上質で、世界中のロースターから今でも非常に高い評価を得ているんですよね。蓄熱性が高くて、これにしか出せない味になるんです。甘みやフレーバーが強く出る傾向があります。導入してクオリティが格段に上がりましたね。

とはいえ莫大な金額がかかりました。普通だったらうちみたいな小さな店は、こんなにつぎ込みません(苦笑)。

盛岡は豆を購入していく層が厚い。NAGASAWA COFFEEは、焙煎の仕方から淹れ方までオープンにしている

それでも、やはり豆の品質を上げるために導入されたんですよね。長澤さんの豆へのこだわりについて聞かせてください。

長澤
はい。いつかこれを使うのが夢でした。アメリカ、ヨーロッパをはじめ、好きなコーヒー屋が世界中にありますが、結構この類の焙煎機を使っているところが多くて、それで自分も使いたくなって。

ヴィンテージを日本で入手するのはとても困難なんですが、手に入れるための手段が、奇跡的に見つかってしまったんです。それも偶然古くからお付き合いある方の協力のもと、ドイツへの視察と購入が実現して。

感性を研ぎ澄ませ、豆を見守るように焙煎していく一浩さん

長澤
今って焙煎の手法が二極化している傾向にあるんですよね。ヴィンテージのいい釜を使うか、最新のハイテク焙煎機を使うか。僕はハイテクの方にはどうにも魅力を感じなくて…使ってみたこともあるんですけどね。

確かに味や品質は担保されるんですが、自分の感覚が合わなくて。僕は10年前に焙煎を始めたので、最近の人よりアナログの感性が強いんです。今は常にパソコンを繋いでデータを取りますが、それでも音で聞いたり、匂いで感じたりする要素を大事にします。ハイテクなシステムだとそれが全部絶たれてしまうんですよね。全部パネルで見る。そうすると細かいところまでわからないというか…。古いスタイルなのかもしれないけど、音とか匂いとかは焙煎する上で大事な要素だと思っています。

一番最初に焙煎を始めたのは?

長澤
最初は純粋に美味しいコーヒーが飲みたいからという理由で、自宅で手網からスタート。焙煎の経験はゼロで、誰かが教えてくれるわけでもありませんでしたから、豆をネットで買って、試行錯誤を繰り返して。

そのうちある程度ちゃんと焼けるようになって、手網だとどうしても味にばらつきが出てしまうことがわかりました。前の店舗から使ってきた焙煎機は、その時にアマチュアでありながら買ったものです。普通、いち個人が買うものではありませんが、家庭用品に毛が生えたようなものではなく、ある程度均一に作れるものでデータを集めれば、豆のクオリティを上げていけると考えていました。その期待は実感に変わり、いよいよコーヒーを仕事にしようと決心がつきました。

一浩さんを長年支え続けてきたゆかりさん。店の経営も生活も子育ても、すべて夫婦二人三脚だ

すごいですね。それは自宅で?

長澤
庭にプレハブをひとつ建てて、この焙煎機(*前の店舗から使っていたもの)を入れて。そこで日中は会社に勤めながら、夜な夜な煎って。業務用の焙煎機を触ったこともなかったから、どうやってやるのかわからないところから始めましたね。

店は中途半端に始めたくなかったので、このプレハブ小屋で夜な夜な実験を重ねる日々を5年ほど過ごしました。

自分の実感を持って美味しいものを使いたいという長澤さん。豆もなるべく現地へ赴いて選んでいる

最初はご自身の味の追求を目的で焙煎を始められたんですね。NAGASAWA COFFEEさんの豆のラインナップを見ると、バリエーション豊かなのが印象的です。どうしてこれだけの種類を作っているんですか?

長澤
コーヒーを楽しんでもらうことが一番重要なことだと思っているので、たくさんの人の嗜好に合うように、浅煎りから深煎りまで用意します。全員の好みにぴったり合うものは準備できていないかもしれませんが、限りなく寄り添えるようにしたいと思って焙煎してます。それは、オープンした時から変わりません。

「あの日の笑顔がNAGASAWAの原点」

オープン前に、5年もの長い道のりがあったんですね。

長澤
それが開業準備を始めてからも長くかかってしまいました。店の構想を練って、本格的に動き出して業者さんと打ち合わせして、施工や融資の話を進めたのが2010年。図面も出来上がって、全部固まって、さあやろう! と契約書に判子を捺す、まさに3日前に震災が起こったんですよ。

大変でしたね。それで、一旦開業計画は中断に?

長澤
中断どころか、白紙です。あの時、建築資材など全て止まってしまいましたから。資材がいつ供給されるかわからない状況になって、融資の話も急に減額されたんですよ。それでその融資額では無理だということで、一度は諦めかけて…。当時会社員は続けてたのでその間で、震災後の4、5、6月は、コーヒーのボランティアで避難所をめぐっていました。僕自身、これからどうしていくか何も決まっていませんでした。

ですが、そんな時に、避難所をまわってコーヒーを提供した経験が、NAGASAWA COFFEEの原点です。

オープンは震災翌年の1月11日。11日にしたのは、その経験を忘れないようにという思いから

長澤
震災直後はとにかく食料と飲料が必要で、コーヒーなんて二の次でした。

ところが震災から1、2ヶ月たったころからボランティアでコーヒーを出していったら、すごく喜ばれたんですよ。みんなコーヒーを飲んで、感謝してくれて笑顔になるんです。その光景が今でも目に焼き付いて。コーヒーはそういう力のある飲み物だと確信しました。

仮設住宅ができた時期にボランティアを終えて、そこからまた開業に向けて再び動き出しました。

ちょうど僕らの娘の誕生のタイミングも重なり、それも開業を後押しする大きな出来事でしたね。娘に対して、自分たちとして誇れる仕事ができたら…という思いも、オープンを決断するモチベーションになったんです。

避難所での体験を繋いでいけるように、オリジナルブレンドは「KEEP SMILE Blend」と名付けた。

盛岡の地から。

以前、たまたま私たち(ライター、フォトグラファー)も窯への下見に同行させてもらいましたが、小久慈焼のカップもようやくできたんですね。

はい。コーヒーを注ぐカップにも、岩手らしさを感じてもらいたいと思ったんです。岩手県の北東部でつくられている小久慈焼の窯の方と、一年ほどかけてオリジナルのカップを作りました。

一年かかったんですね。どういうところが難しかったですか?

長澤
何度も試作を重ねました。飲み口の部分を調整するのが難しかったです。厚みがある方が重厚感があるけれど、口に当てて飲むときのキレが悪く、垂れやすいカップになってしまう。一方で、薄くなりすぎるとデザインの良さがなくなってしまうので、微妙な何ミリかの調整を何度もしました。
僕らも窯へ足を運びましたし、あちらも僕らの店に来て、コーヒーを飲んでもらったりもして。

シンプルであたたかみを感じさせるデザイン。こちらはドリップ用で、ラテにはORIGAMIを導入予定だ

一度出店計画が白紙になっても、盛岡で開業したんですね。

長澤
一度計画がなくなりましたから、復興後大変でしたし、県外でやる選択肢もありました。ですが、震災を経験して、岩手だからこそやる意味がある、という思いがより固まって。

その根底には、震災の経験が。岩手のなかでも、盛岡にしたのは、地元だったからですか?

長澤
開業時の思いはいつまでも揺るがないですね。岩手の中でもなぜ盛岡か。それは、自分たちが馴染みがある街だったこともありますし、盛岡で世界的にも認められる、新しいことを発信していきたいという思いもありました。

盛岡の人って商いや考えが盛岡の中だけで完結してしまうことが多いんですよね。どうせ東京には叶わない、ってどこかで思ってしまってる。ですが、ちゃんとやっていれば東京でも世界でも評価されるんだってことを示していきたいんです。

TOKYO COFFEE FETSTIVALにも、台湾へも飛んで出店されていますね。

長澤
どちらも初回は「ちょっと飛び越えすぎたな…」という感触でしたが、ハードルが高い時こそ燃えてしまうんですよね(笑)。そういう時にこそたじろぐことなく、小さな殻に閉じこまらずにやっていきたいです。

盛岡の良さを踏まえながら、さらにアップデートをしていきたい。伝統的なお店は別かもしれませんが、みんなもっと外を向いたり、新しいことへ挑戦していってもいいと思うんですよね。

言われてみれば、今の盛岡には県外からも多くの人がきていますが、長く盛岡に住んで新しさを体現している人は、そんなに多くないのかもしれませんね。

長澤
意外と、そうなんですよ。結構保守的というか…。僕がやっていることも、例えばこの空間の使い方や焙煎機についてもそうですが、商売っ気のないことばかりで、店を続けられているのは奇跡的だと思います(笑)。いらないところにばかり投資していると言われるかもしれませんが、それがうちらしさだと思っています。

この空間にいると、長澤さんたちのお客さんたちを喜ばせたいという思いが随所に感じられます。これからも多様なお客さんに向けたコーヒーを出しながら、新しい盛岡らしさを私たちに見せてください。
今日はありがとうございました。

盛岡に立ち寄る機会があったら、ぜひ街なかを散策し、古き喫茶店とともに、NAGASAWA COFFEEにも足を運んでみて欲しい。

この土地が歩んできた道のりや、人々の思いを、コーヒーを通じて垣間見ることができるかもしれない。

訪れる人の笑顔のために、真摯にコーヒーと向き合う姿勢は、日々のあらゆる営みにおいて大切なことを、私たちに教えてくれる。NAGASAWA COFFEEは、そんなコーヒースタンドだ。

NAGASAWA COFFEE
http://www.nagasawa-coffee.net/

木村びおら

Viola Kimura

出版社勤務を経てエディター/ライターに。雑誌や書籍、WEBなどで編集・執筆をするほか、イベント企画やPRなども手がける。現在は医療専門誌の編集の傍ら、教育、福祉、デザイン、ものづくり、食などのコンテンツ制作に携わっている。写真家の夫と2人の子どもと4人暮らし。

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